2011年7月3日日曜日

41. Prince Buster

       Science / Prince Buster

King  Of  Prince Buster。
生まれは1938年。ボクシングをやっていた(ジャマイカを訪れたカシアス・クレイ、後のモハメド・アリとスパーリングをしたことがあり、その時にアリのあごにパンチをくらわせたという伝説もある)こともあり、腕っぷしの強さを買われCoxsoneのもとでサウンドシステムの用心棒をやっていた時期もある。

1957年には、自らのサウンドシステム”Voice Of The People"をスタートさせる。
当時のサウンドシステムはCoxsoneのDown BeatしかりDuke ReidのTrojan、その他のサウンドシステムもアメリカのRhythm&Bluesをかけて人気を争っている状況だった。
ラジオ局も同じようにアメリカのRhythm&Blues、Jazzを流していて、ジャマイカに昔からある民族音楽を軽視する傾向にあった。

そんな現状を打破すべく、Busterはジャマイカで作られる音楽にこだわりを持ち、
それを俺たちの音楽と位置づけた。
Busterはシンガーだけではなくプロデューサーもやっていて、
1960年にジャマイカ音楽としては初めて
アフリカに起源のあるラスタドラムを取り入た"Oh Carolina"をリリースする。

Busterはラスタではないが、アフリカに対しての意識は相当あったようで、ルーツの民族音楽を取り入れることでジャマイカ人によるジャマイカ人の為の音楽、俺たちの音楽を作ろうとした。

"Oh carolina"の予想しなかったヒットにCoxsoneもラスタドラム奏者Count Ossieに頼み込んで何曲かレコードをリリースしている。

掲載曲はAugustus Pablo "JAVA" trkにBusterのトースティングが絡み合う、いかついジャマイカ音楽。


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